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死にたい、という言葉

自分は確か10才もいかない時期に死にたい、自殺したい、と思った記憶があるが、それを追ってか、ある日身内にも別の人が、死にたい、と言い出した。

 

何度もなんども、紙にも溢れんばかりの、死にたい、を突きつけられた。

 

多感な時期にそんな身内がいて、そんな人に影響され身内にまた精神をおかしくする人が増えた。

 

いつしか自分の中で、身内なのに絶対気分を害してはいけない人が増えた。

 

結局その身内は死ななかった。しかしながら、自分の意志の力、というものを失っていた。それを見て思ったのは、誰も、神様も、宗教も、人間を救ってはくれない、ということ。

 

己の意志の力こそ人間の力であること。

自分を救えるのは自分しかいないこと。

 

死にたいと言って本気で死ぬものもいれば、死なないものもいる。

人によっては、その言葉で人から気にかけ、構ってもらいたいと思う意図もあるだろう。

 

自分が昔死にたいと思った時、どうして死にきれなかったかの理由は、死に至るまでの痛みに耐える勇気がなかったから、というのがある。

 

痛みは生きてる証であり、痛みは生を繋ぎとめるものなのだと。

 

少なくとも、こんな風に生きてしまった結果、もともと集団の中にいても自分を主張出来たはずなのに、成長するにつれて人間関係の構築に無理に誰かの機嫌をとる傾向になってしまったのだろうか。

体重について

某女優が役作りの為に5キロ増量したことに、私だってそれぐらい日常よくあるし(これは文句なのか自虐なのかよくわからないけど)、とか、某俳優は10キロ以上増量してる、とか、あるが、

 

そもそも自分と同じ体質かどうかなんてわからないし、男女で身体つきは違うんだから同じように考えるべきじゃないし…(男性の実例のひとはあまりにやりすぎて寿命縮まってないか心配するレベル…)

 

自分は増量したくても出来ない、というと何人かの女性に反感(これは嫉妬?)を持たれることがあるのだが、女性にとって体重を下げられないことは結構な問題だそう。

 

じゃあなぜそれが結構な問題なのか、女性がそれを必要としている理由はなんなのか、を考えると、世間がそうだから、なんだろうか…それとも体重が重いと男性と付き合えない、または女性として減点対象なのか…

 

必ずしも女性の都合だけで女性が結構な問題としているわけではなさそう。

男性側の要求に応える為、っていう要素も少なからずあるようだと、思った。

 

しかし女性の逆鱗には触れるのは怖い。

 

独り言かと思ったら電話

批判を喰らうのは承知だが、古くさいかもだけど、最近よくいる独り言かと思ったらイヤホンとマイクで電話してる人いるけど、あれは正直人が聞こえるとこではやめてほしい。

周りからは電話してるんだか独り言喋ってる変な人なんだか、それとも誰かに話しかけてるんだか、よくわからない。

 

最近変な人が増えたって誤解してしまう。

 

 

 

時間とやる気

あれこれやらなきゃだけど時間がない、という発言には、じゃあ寝てる時間やテレビ見てる時間や動画見てる時間や風呂浸かる時間や…を削る必要があって。

 

でも、最低限、自分これだけは削れないものは残しておかないと、やらなきゃいけないやつをやり遂げる気力というか、やる気というか、それがなくなって本末転倒になってしまう。

そこをどう上手く調整するかで、継続できるかどうか違いがでる、と勝手に思う。

優先席

優先席は優先すべき人がいたら優先すればいいだけだから、別にいなければ座っていいと思うんだけど、やっぱ座るのをはばかる人は多い。その時に自分で優先出来る自信がない、とか、眠ってしまいそうだから、とか、人にはいろいろ理由があるんだろうなと、思ってみる。

違う世界では

飲み会で盛り上がって、勢いでいっかいやってしまった、あとでできちゃった…どうしよ…

 

なんて話が、違う世界ではあるんだなと。

そういう人間にそもそもなれないし、そんな人間のことなど全く関知しないのだが。

 

性の交わりについて

恐れながら、この歳になって、という年齢で女性とちゃんと付き合い、初性交をして、問題が生じた。

 

あまり詳しくは書けないが、あまり期間が経ってないにもかかわらず、何にしても最終的に、性交が面倒に感じてしまった。

最初は食わず嫌いはダメだと思いある程度努力はしたつもりだった。

 

事実そこまで自分に性欲がないわけではないが、いかんせんどうやら刺激が強すぎる想像体験を長いことしすぎてしまったようである。

そしてある経験から、想像体験ですら上手くいかなくなってしまった、というのが事実である。

 

性交をするに当たっては、考えることをやめることが必要なんだろうが、それがいろんな理由があり出来ない。結果上手くいかないことが多い。

 

昔から性交は気持ちが良いと聞いてはいたが、いっときの興奮の為に自分の人生を使うのは、割に合わない、と思っていた。

そして実際やってみた結果、十分に気持ちが良いもの、ではなかった。

本当に十分に気持ちが良いものにするならば、自分の相手への優しさをすべてかなぐり捨てることになる。結果相手が傷つくのはごめんだ。

 

付き合うにあたって自分を縛り付ける、しなければならない、そんなものになっていた。

 

相手が幸せであることが自分の幸せなら、そんな選択は出来ない。

 

人は性交が気持ちが良いというが、

自分は違うのだ、と感じた。

必要な時が来ても、上手くは出来ないだろう。そもそも遺伝性のある病気を抱えて、それが実際に遺伝してしまったら、子供にその責任はどう取ればいいのだろう。

自分のように、また親をそういう、恨むのは無意味だかどうしようもない、そんな気持ちにさせるのだろうか。

 

そもそも自分がまだ子供なのだが。

自分のことだけで精一杯の子供なのだが。